徒然

すべて真実(≠事実)

検察側の罪人 メモ

検察側の罪人 メモ

 

 

 

ネタバレです!!!!!!!

見てない人は見ないで!!!!!!

 

 

 

2回見て吸収できたことだけでしゃべります

 

 

 

 

 

ネタバレですよほんと!

嫌な人は見ないでくださいね。

 

 

 

 


ほんとうにメモ。整理用。

 

 


松倉への復讐云々はわかったから、丹野、戦争関連について整理。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●沖野と丹野が高速道路の下で話すシーン。

丹野は逮捕直前。

 

 

 

何を話していたのか具体的なことは覚えてないけれど状況をまとめると

 


・丹野は高島グループ会長の娘婿

 


・警察の捜査の本マルは高島、だけどまずは丹野(最上の台詞から分かる)

 


・丹野は高島会長とは政治的にも絡みあり

 


・高島の不正?をマスコミにリークした

 


・マスコミは丹野を裏切り、情報をもみ消しただけでなく矛先を丹野に向けた

 


・旧友である最上は、丹野の力になると告げるが、「お前は体制側の人間だ、俺の絶望はわからないだろう」と無下にされる

 

 

 

 

 

 

 


→丹野は反体制、最上は検事をやってるから体制側(だと丹野は思っている)、だから丹野は「お前にはわからない」と言った。

 


→しかし、最上はこれから松倉への復讐をするつもりで、そのためには手を汚すことも厭わないという覚悟を決めていた。だがそれを話すわけにもいかず、歯がゆい思いをする。(つまり、インパールに出兵した祖父のこともあって最上も反体制側なのだが、担当検事という立場上、またこれから成し遂げようとしている事の違法さを考えると何も言えない)

 

 

 

ラストシーンの最上の台詞から、高島グループは戦争賛成派であることが推測される。(戦争賛成ではなくても、現体制にがっつり組み込んだ右寄り)

 

 

 

丹野が排除され、高島が生き残る日本の未来には何があるのか?……戦争。おそらく最上はそれを危惧している。

 

 

 

これからの日本が、戦争へと突き進んでいくことへの反発感を感じる丹野と、最上は手を組みたかった。だけどできなかった。

 

 

 

まあ最上は最上で祖父のこともあってめちゃくちゃ偏っているんだなあ。

 


最後沖野が叫んだのは、見た人の解釈に任せられる部分だと思う。

個人的には、心底尊敬していた最上の様々な事情や思惑を吐露され、今まで確固としてあった正義とは?という問いが揺らいだことによる叫びだったのかなあ、と、わからないながらに思います。

 

 

 

 


不明点

 

 

 

・なぜ沖野に丹野のラストメッセージを見せたのか?最上は沖野に何を望んだのか?

 


→自分の限界を見極めて、沖野に意志を継がせようとしたのか?

 


たぶん誕生日が8/29であることと関係があるけどよくわからない。「結末は想像以上」とは?

 

 

 

 

 

 

もう1回くらい見て原作もちゃんとぜんぶ読みます……

 


とりあえず今は以上。

 

 

ではまたーー!

ナマモノについて思うこと

 

 

まずはじめに。これはあくまで私の意見であり、読んだ人に対してこれに賛同するように強いるものではありません。また、ここに書いてあることに反する行為をしている個人を攻撃する内容でもありません。

こういう考え方をして、こう思うから、アカウント移行をしますという説明です。

 

決意表明のようなものなので、合わないなと思った方はそれで構いません。

考え方は人それぞれだとわかっています。その上で、言いたいことを言います。

 

読んで、ちょっと考えてくれたらそれは嬉しいけれど、行動を変えろと言っているわけではないので、そこはご留意いただけると嬉しいです。 

 

 

 

要約

・いつもツイみてくれてありがとう!

・全力で安心してツイートできる場所がほしい

・鍵なしさん、本人アイコンさんのことが嫌いになったわけではない。すき

・基準は厳しいほうに合わせた方が誰も傷つかない

・急にルール変えてごめんなさい。そして本当にありがとう。

 

 

 

 

ナマモノの危険性について

この方のブログを読んで、本当につくづくその通りだなあと思ったのが一番最初のきっかけです。すこしでもやばいな、と思ったり、Twitter運用の仕方変えようかな?と迷っていたりする方にはぜひ、ぜひ読んでほしい。

 

omoti1055.hatenablog.com

 

 

 

主に下のあたりです。引用させてもらいますね。

 

昔からそうだから守っているとか、本人が言及しないとか、同性愛が云々とか、そんなことが問題なのではない。

ナマモノでは、性別がなんであろうと、「実在する人物」に対して「性的な消費」を行っている。

ということを言いたい。

 

本当になにを根拠に本人に見つからないと思っているのか。はたまた本人に見つかってもいいと思っているのか。

 

 

本人、もしくは共演者など本人と一緒にお仕事をする方々に見つかる可能性があるということ。そしてその人たちが、プライバシーのある個人(自分or仕事仲間)が、性的に消費されている様を目の当たりにしてどう思うのか。

 

もしかしたら、見つからないかもしれない。でもそれは結果論で、これからも見つからない保証はない。更に言えば、"もう既に見つかっているのかもしれない。"

 

本人、もしくはその周辺の人が私たちのアカウントやツイート内容を見ていたとして、私たちはどうやったらそれを察知できると思いますか?できないんですよ。本当にもう、既に、目に入っているかもしれない。

 

想像力を膨らませたら、危険な状況はいくらでも起こりうることを想定できるはずです。ツイート内容のコピペやスクショが、全然違うサイト(例えば2ちゃんねるとか)に掲載されて、拡散されるかもしれない。炎上なんて一瞬です。 

 

 

 あとは単純に、そういう目線で見ていないファンの方の目にもし入ってしまったら。やっぱり不快にはなると思うんです。それがきっかけで同性愛に嫌悪感を抱くことになってしまったら?彼らのファンをやめてしまったら?極端な例かもしれませんが、100%あり得ないとは言い切れない。

 

本当に、どうして、迷惑をかけていないと、傷つけていないと言い切れるでしょうか?少しでも本人に迷惑がかかる可能性があるなら、全部拭い去っておきたい。私が過剰に見えるくらいの配慮を始めた理由はここにあります。

  

 

そしてもうひとつ。

また引用させていただきます

 

例えば、Aという実在する人が、エゴサーチをして、公開アカウントで「A×B今日ちょうイチャイチャしてて、絶対付き合ってるよ〜〜!AはBのこと好きすぎ!!」

などというツイートを発見したとする。Aは全くそういう感情はなくBと接していたのに、ツイートを見て、

「他人からはそう見えていたのか…。これからは露出のあるところでBと絡むのは控えよう。」

と思うかもしれない。(実際あった)

 

これ、我々としても本意ではないですよね〜〜!!ほんと!!!!

我々のツイートなどのせいで絡みが減ることがあってほしくない。

もっともっと絡んでほしい。あとやっぱり傷つけたくない。

 

 

 

厳しすぎる?

ここまで読んで、想定している状況が心配性すぎるのでは?と思われる方へ。

確かにそうかもしれない。でも、迷惑をかけてしまう可能性が少しでもあるなら、それは潰しておきたいと考えますし、基準は厳しい方に合わせた方が平和だと思うのです。

 

これは単純なはなし。厳しい基準を守っている人はだれも傷つけないけれど、まあいっかと思ってゆるくやっている人は、知らない間に誰かに迷惑をかけたり、厳しい基準を守っているひとをヤキモキさせているかもしれない

 

実際に書き手さんの中には、フォロリク通す条件として「『鍵をかけずにナマモノ腐に触れている方』をフォローしていないこと」を挙げている方もいらっしゃいます。気をつけている方は本当に気をつけていて、かつ、気をつけすぎるということは多分ない。

 

重ねて。上記に反する方々を批判している訳ではなく、だったら私は、厳しいほうに合わせたいという話。私の言動によって嫌な思いをする人がいてほしくない。だから厳しいほうに合わせる。

 

 

 

 

本人アイコンをやめてほしい理由

まずは権利のお話。この界隈では普通になっていますが、たとえばTVやDVDの映像を切り取ってツイートすることは公衆送信権侵害になりますし、本人アイコンを使うことは肖像権の侵害になります。

さすがに処理しきれないから訴えられることはないかもしれないけど、これもさっきの話と同じ。厳しい方に合わせた方が誰も傷つかないし、何より自分の身の安全を守ることになると考えるから、私はやらない。

 

あとはもう自己満足ですね。FF欄見た時に、本人画像がないと安心する。ここでなら何言っても大丈夫だぞ〜!という気持ちになる(だめです)

 

気持ちの問題です。お付き合いさせてごめんね。付き合ってくれてありがとう。

 

 

 

追記(2019/2/17)

そもそも、3次元の腐は存在してはならない。正確に言うと、「存在しているように見えてはならない」と思います。

同志が集まって盛り上がるぶんにはいいんです。ただ、そうではない人、あるいは本人、その関係者たちの目に触れてはならないんです。創作内容に触れなくても、「そうして実在する人物の性的嗜好を操作し、性的に消費している人がいる」ということを悟らせてはならない。だから、お写真を、外から見えるところに使うのはやめましょうという話です。

 

 

最後に

えらそうに色々いいましたが、私だって何も知らずに本人アイコンで鍵つけずにツイートしていた時期がありますし、色々言えた立場ではないんです。

 

ただ、ツイッターを使っていくうちに、何に気をつけなければならないのか?どういったところに配慮した方が良いのか?わかるようになってきました。

 

今後、新しくこのジャンルに入って来る人たちがツイッターを始めた時に「みんなやってるからこれくらいいいのかな?」と思って欲しくないんです。

 

 

急に基準を変えて、本当にごめんなさい。
いままで好きですと言ってくださった方、楽しみにしてくださった方には本当に申し訳ないのですが、あとから湧いてきた良心が黙っていられなくなってしまったので、今回アカウント移行という措置を取らせてもらいました。(表はかわらずやっていきます。)

 

ついてきてくださった方には本当に頭が上がりません。アイコンやプロフィール欄変えてまでフォローしてくださった方がたくさんいてびっくりしました。本当に本当にありがとうございます。

 

重ね重ね言いますが、これに賛同しないからと言って嫌いになったりとかは絶対にしないです!変わらず仲良くしてもらえたら嬉しいです。

 

 

以上、考えていることでした。

こんなに長くなったのに最後まで読んでくださって本当にありがとうございました!!

 

 

 

 

つがるあき

 

 

 

 

僕のヒーローについて

 

キンコン西野を尊敬している、と言ったら、電話口からは訝しげな声が返ってきた。

 

「それ、あんまり言わないほうがいいよ」

 

ええ、そうなの。好感度が低い、というのは本人がネタとして言っているだけかと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。テレビでは印象最悪なんだぜ、と彼は言う。なんの話の流れでそう言ったのかは忘れた。隙あらば通話していた頃があった。話は尽きなくて、尽きたらトランプゲームを始める。電話越しに。もう2、3年も前のことだ。

 

でも、と僕は思う。君が褒めてくれた僕の諸々の行為はけっこう、西野さんに影響されてのことだってあるんだぜ、と思う。それを言ったら「ええ、そうなの?」ってこれまた嫌そうな声が返ってきて少し笑った。

 

 

キングコング西野の、テレビでの活躍は知らない。僕が知っているのは彼が絵本作家になってからの一連の出来事だ。テレビでの印象が悪いと聞いてピンとこなかったのは、彼がテレビ以外の分野では圧倒的な信頼を勝ち取っているからだ。

 

制作した絵本は32万部、ビジネス書は10万部発行され、クラウドファンディングでは総額1億円を超える支援を1万5000人から受けた実績がある。テレビでも人気者だからかな〜なんて思っていた(違った)

 

イメージが最悪でも、彼がやっていることは面白い。ハロウィンのあとの渋谷はゴミだらけと聞いて「じゃあそのゴミを拾って作品をつくろう!ハロウィン翌日朝6:00渋谷に集合ね!」とかなんとか言ってそれをイベント化してしまう。

 

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天才だと思った。渋谷のゴミ問題なんて放っておいたらただの「問題」なのに、それをエンターテイメントにしながら解決してしまう。32万部発行した絵本だって、ただ絵本を作っただけじゃない。絵本ってどうして絵もストーリーも文も全部ひとりでやるんだろう?映画は何人もで作るのに。ってことで、色ぬりのプロ、線画のプロ、背景のプロ、とかとか、細かく分けたそれぞれの分野のプロフェッショナルを集めて「世界初、完全分業制の絵本」を作った。そんな金かけて作ったら採算とれねーよ、という「常識」をはねのけ、1万部売ったらベストセラーと言われている絵本業界で32万部。作っただけじゃなくて、売り方まであれこれ仕掛けて、32万部。天才か。絵本制作以外でも彼のおもしろい取り組みはまだまだあるが、まあ割愛。気になったら彼の新刊でも読んでくれ。

 

 

だからね。テレビで彼を叩く風潮に流されて快く思わないのは勝手だけど、世界の面白さ逃しちゃってるよ、と思う。確かに伝え方や言動はやかましいかもしれないけどさ。ね。それに。

 

 

「尊敬しているなんてあんまり言わない方がいい」って、なんともひどいアドバイスだと思った。多くの人間がキンコン西野に対して良くない印象を持っていることが前提であること。僕の、彼を尊敬する気持ちを蔑ろにしていること。そのほか諸々。

 

それでもその友人とは、今でも普通に仲良くしている。月に一度は酒を酌み交わす。それだけで付き合いをやめるほど魅力のない人ではないし、こちらもそれほど単純ではないからだ。現実とはそんなものでしょう。この人にはこういう部分がある、と心に留める事柄がほんと少し増えただけ。その発言は嫌だったけれど、彼のことが嫌いになったわけではない。

 

 

とか、当時思ったあれこれ。すっかり忘れていたのだけれど、西野さんの新刊がブックカフェに並んでいるのを見て思い出した。真っ赤な表紙の『革命のファンファーレ』

 

文字サイズでかいし、余白たっぷりだし、2時間もあれば余裕で読み終わるだろうから買わないでいいや。そう思って席まで持っていって、するする読み進めて、あ、これはやられたなと思った。まずい。面白い。

 

たとえば、こんなことが書かれていた。

 

人がお金や時間を割いて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって『確認作業』で、つまりネタバレしているモノにしか反応していない。

 

モナリザを見にいく、グランドキャニオンを見にいく。見れるものはわかりきっているのに、それでも行く。わかっていて、お金を払う。とまあ、そういうことらしい。(だから彼は自分の絵本を全編ネットで無料公開して、ちゃんと結果も出した)本質を見極めるとはこのことか。

 

僕はこの本を結局レジに持っていく。買わなくていいやと思って読み始めたこの本を、結局、持って行ってしまう。面白いと知っているから。中身を知らなかったら買おうとは思わなかった。知っているから、買う。一般的には逆だと思われるこの関係は、やはり真実だった。もうお手上げですよ。僕はまさに、この本に書かれた通りのことをしている。ブックカバーおかけしますか?あ、お願いします。

 

そして本の最後に羅列された言葉の強さに、また突き動かされる。

 

 

最近情報を終えてなかったけど、やっぱり彼は僕のヒーローだった。彼はいつも行動のきっかけをくれる。行動を起こすトリガーを引いてくれる。今回もきっと。たぶん、何か始めるんだろうなという予感がある。

 

 

 

 

 

本を読み終わってうずうずして、ひとます例の友人に聞いてみた。あまりにも些細な会話だったから、忘れてしまっているかもしれない。2、3年前だし。

 

 

キンコン西野きらい?」

「最近あまり見ないからとくになんとも」

 

 

そんなもんだ。

 

 

「すごく前にさ、僕がキンコン西野を尊敬してるって言ったら、ええ…って反応してたの覚えてる?」

「あー、覚えてる覚えてる」

 

 

彼は覚えていた。僕はもう、なんだかそれだけで満足だ。思わず小さく笑う。本を読んで、昔を思い出して、友達と共有して。読んだことは確実に残る。こんだけ強烈なもの読まされたら残るに決まってる。現にこうして僕は文章を書いてしまっている。2000字越え。彼の本を読まなかったら生まれなかった文章が、2000文字ぶん。もちろん、文字だけじゃない。

 

 

 

 

ありがとう、僕のヒーロー。

 

 

 

 

さあ、次はなにから始めようか

 

 

 

 

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今日も、核心に触れない話

 

中央線快速高尾行。8:58東京発。たしかそんな電車に乗っていた。スマホで昨日見逃したドラマを見る。相変わらず光の使い方が美しい映像だった。どこで切り取ってもきっと、お気に入りの一枚になる。演出上のワザがあちらこちらに見られて、映像資料としても何回も見たいな、と思う。

ふと顔を上げた時、窓の外の景色が網膜に流れ込んできて、像を結んだ。あれ、と思った。こんなに綺麗だったっけ。何が、と問われても難しい。光が綺麗だと思った。建物と線路の遠近が、その画一的な街並みが、いつもよりも整頓されている感じがした。ただ人工的で無機質なもの特有の冷たさはなく、単調なのになぜか好感が持てた。水道橋を過ぎて、飯田橋より手前の高速道路の下。あれは一体なんだったのだろう。

 

 

直前まで見ていた映像が綺麗だったから、現実がそれに引っ張られただけかなと思った。へえ、映像作品とはこんな力まで持ち合わせているんですか。納得しきれないながらも、そんなことを考えて感心した。そして羨ましいと少し思った。

 

 

その日の午後、教室の窓から見えた景色を見て、今朝の景色はドラマの効果ではなかったことを知る。なんだか泣きたくなるくらい、それは綺麗だった。美しかった。

 

 

普段と何が違うのだろう。見えるものは、もの自体はなにも変わっていないように見える。隣の校舎。奥に並び立つオフィスビル。ホテル。校舎の上に見えるごつい配管。工事の作業員が屋上をうろついていたけれど、それが私の視覚に影響を与えるとも思えない。景色の大部分を占めるのは青空。視線がなぞる先のものは本当にいつもの景色だ。日差しが少し強いくらいで、いつもの景色。

 

 

天気のせいか、日差しのせいか。それとも。私の目が弱ったか。頭が弱ったか。ホワイトボードの前に立っている教授の話を聞かなければいけないのに、外の景色を切り取った窓が気になって気になって気になって、何度も不自然に横を向いた。何が変わった。なぜこんなにきれいなのか。何がこんなに美しいと思わせるのだ。

 

それから数時間後。帰り道の交差点手前の景色、電車から見える景色。日も暮れかかっているのにそれらは相も変わらず美しく、絶望にも似た気持ちになった。結局私はこの景色が見える理由を、知らず知らず昼間特有のいつもより強い日差しのせいにして納得してしまっていたらしい。それなのに。暮れていくのに美しいとは何事だ。落ち着かない。電車の窓の外が怖くて見れない。見たい。少し見る。やっぱりきれいで、どうしたら良いのか分からなくなる。どうして。どうして。恐怖を覚えている自分に気がつく。やはり自分も、その他大勢と同じでなければ不安になってしまうようだった。外を見たくなくて、意味もなく駅の構内に潜っては立ち止まる。どっぷり沈んだ後も街がきれいだったらどうしようかと、不安で不安でたまらなかった。

 

 

 

毎日毎日、書きたいことは溜まっていく。うとうとしたときに瞼の裏に映った映像、駅ですれ違った人、高校時代の美術教師からの連絡、期せずして耳にしてしまった誹謗中傷、友達の家で開かれる宅飲み定例会、年に数回ある、青いフィルターがかけられた日の世界、ショーやライブを見ている時にいつも思うこと、死んでしまったあの人のこと。そんなに書いてどうするの?3年半前、大量の文字が印刷されたコピー用紙が部屋に散乱する様を見て、諦めのような、満足のような感情が湧いた時から、その少し前から、私は何も変わっていなかった。核心に触れない文章を書いて、何も成長などしていないのに、それを隠すように、ひけらかすように、毎回毎回同じことを違う角度からべったりべったり書いてきた。この文章だって、当時書いていたものとなにも変わらない。むしろ退化している。書きたいことはいつも違うように見えて、本当は全部同じだった。私が今まで無駄にしてきた言の葉の数々は、結局次の一言に集約される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言の葉の呪

 

最近、僕のことを心配して「しっかり休んで」とか、「ちゃんとご飯たべて」と言ってくれる人が複数いる。とてもありがたい。

金銭的にきりつめる必要がある時、真っ先に切り捨てるのは食費だった。自分が何時間かの空腹を我慢すれば浮くお金、本を買って読んだほうが大変な価値になる。そう思ってよく昼食を抜いた。夕食を抜いた。そして、体調を崩した。

 

10月、11月と、寝込む日が多かった。それまでは、少しの風邪もひかない丈夫な体だったのに。

 

「ゆっくり休んで」「ごはんたべて」と言われ続けると自分の中にその言葉が浸透する。言われたその時は意識していなくても、仕事を片付けるために無理して夜更かししようとした時、お金がなくてご飯を抜こうとした時、ふとその言葉たちが思い出されるのだ。いや、「思い出す」というほどはっきりしたものでもない。なんとなく、自分は今寝なければならないしご飯をたべなければならない。そんな気持ちになって、そのあとの行動が規定される。

実際に眠くて仕方がないとか、そう言ってくれる人たちに余計な心配をかけたくないとか、そういう理由ももちろんあると思うけれど一番大きな理由は「言の葉」なのだと思った。




言の葉とは呪である。




何年か前の正月、親戚でごはんを食べていた時のことだ。たしかうなぎ重だった。次から次へとろくに噛みもせずぱくぱく飲み込んでしまう祖父に、母や祖母が「ゆっくり食べてくださいね」と声をかけ続けていた。僕はそれを聞きながら自分のぶんを食べる。

 

「お父さん、ゆっくりたべてくださいね」

ひとくち。

「そんなに早くたべないの」

ひとくち。

「食べるのはやすぎですよ」

ひとくち。

「よく噛んでから飲み込んでください」

ひとくち。

 

 

祖父にむけられた言葉なのに、僕の食べるスピードは遅くならざるをえなかった。みんなが食べ終わった時、僕は自分の分の半分も食べ終わってなかった。遅く食べるように促す言葉を聞きながら食べていたら遅くなった、と言ったら笑われた。




笑い事ではないのだ。これに似たようなことが、しかしこれよりも遥かに大きな規模で、時間感覚で起き続けている。言の葉は僕の中に染み込み、蓄積され、行動を縛る。同様に、僕のふとした言葉が誰かの中に染み込み、蓄積され、縛る。意識していなくてもそれだけの威力があるのだから、僕の言葉が誰かに「刺さった」場合、その言葉の持つエネルギーはどれほどか。

教訓めいたことを口にするようになった。知識を得ると世界の見え方が変わるとか、面白さの反映率を高められれば人生が楽しくなるとか、知らないままに生きていくのはあまりにも気持ちが悪いとか。真理だと思って吐き出す言の葉の頼りなさを、僕はあの4ヶ月間で誰よりも実感したはずだった。それなのに懲りもせず、或いは当時の痛みを忘れて、無責任な言の葉を撒き散らすようになった。そして「感動した」と、「刺さった」と、そう言われるたびに喜ぶのだ。僕の言の葉が誰かを縛り得たことに、そうとは気付かず喜ぶ。気づかぬふりをして喜ぶ。なんて恐ろしい、とも思えなくなってしまった。その変化は成長か退化か?そんなことはどうでもよろしい。僕自身が変化に取り憑かれた人間で、僕を変化せしめる有象無象を愛しているからで、つまり僕は愛されたいのだ。








1年前、年の瀬に立った僕はこんなことをいつものノートに書きつけた。

「変化は痛い、だがそれを受け入れずして何が『生きる』だ。」

変化に魅せられた。必ず苦しむと、ちぎれるほどの思いをすると確信しながらも、1年前の僕はその道を選んだ。

 

先生はこう書く。

「憎むべきは一つ処に安住しようとした僕の意志だ。だがそれを願わずして、何が『生きる』だ。」

 

出藍の誉れ。僕が安住を嫌う理由は、この短い文章にあるのかもしれない。





形だけ畏れて何になるというのだろう。鈍ってしまった神経では、言の葉の鋭さを感じることなどできないというのに。楽になりたいと願い続けた結果がこれ。猛省すらできなかった僕にできることなどないのだ。

安心して呪をかけ続ければ良い。いつか蓄積に苦しめられる日が来た時、過去の自分を憎めば良い。このツケはちゃんと育ち続けているだろうから。

 

 

 

 

 

 

猫カフェをひらいたりする

 

浪人生。男子。思うこと。今年の試験に落ちたら、俺はどうするんだろう。国立大学に行きたい。というか、学費の関係で国公立にしかいけない。現にこうして、予備校に通う金もないから自力で勉強している。宅浪はつらい。社会から切り離されている。俺は今、高校生でもなければ大学生でもなく、働いているわけでもない。つまり浪人生とは、ニートである。生徒手帳も学生証もないから、学割は使えない。家に引きこもって勉強するから、人に会わない。社会よ、俺が寝ていようが勉強していようがオナニーをしていようが、お前はたくさんの歯車をぎちぎち言わせながらまわっていくのだな、と少年は思う。いちにち10時間は勉強する。あまり成長している実感はない。うーーん。模試を受けるお金だけは、ちょっとだけやっているアルバイトでなんとか稼ぐ。結果は芳しくない。うーーん。浪人、もう1年したりするのだろうか。そしたら、学生じゃなくなる頃にはイイ歳になっちゃうな。たまに思索に耽る。猫が足元にすりよる。俺が構うと逃げるくせに。と思いつつ、愛らしいと思ってしまう。猫はずるい。猫になりたい。と、少年は思う。

 

 

就活生。女子。思うこと。4年生になった。小学校入学から数えて16年間学生として過ごしてきたけれど、ついに私も社会に出るのだ。与えられる側から、与える側へ。たくさんの歯車のひとつになってやろうじゃないの、と、たくさんの企業にエントリーする。書類をつくる。書類は合格する。面接に行く。不合格。提出。面接。不合格。提出。面接。不合格。ほう。私の何がいけないんだろう。書類に書いたことをほとんどそのまま喋ってるだけなのになあ。話し方?態度?身だしなみ?笑顔?…っていうか、顔?いろいろ考える。うーーん。だって、もう思い当たるところがない。ぽい、とリクルートスーツを脱ぎ捨てる。理由を明かされずに落とされるから、直すべきところがわからない。このまま就活を続けてもだめなんだろうな、ということだけがわかる。うーーん。パンプスで疲れた足を湯船でほぐす。お風呂上がりの足元に、猫が擦り寄る。私が構うと逃げるくせに。と思いつつ、愛らしいと思ってしまう。猫はずるい。猫になりたい。と、少女は思う。

 

 

そうだ、と思った。猫カフェをひらいたりするのはどうだろう。自分の居場所に、猫がいる。猫とはずっと一緒に生きてきた。足元でごろごろ喉を鳴らしている猫に、その時には君にも接客してもらうからね、とつぶやいてみる。都内、雑居ビルの一角を借りる。猫にとって居心地がいいように、リノベーションする。猫のための工夫は惜しみなくする。猫カフェをやっている友達がいるから、いろいろ聞いてみよう。客単価2000円くらいに設定してみる。仕事に疲れたサラリーマンがくる。外国人がくる。謎のイベントを開催する学生がくる、きっとくる。1日に10人きたら2万。1ヶ月で60万。場所代、電気水道ガス、維持費諸々、毎月40万くらいですむよね、たぶん。初期投資で猫がたくさん必要だけど、従業員はとりあえずいらない。自分ひとりで。パソコンに詳しい知り合いに、ホームページ作成を依頼しよう。2万くらいですむかな。SNSにたくさん写真をアップしよう。最近のネットでは、病的なまでに猫が愛されてるし、ちょうど良いじゃん。

 

 

 

このままぜんぶ、落ちたらね。うん、大丈夫。やっていける。少女は笑う。お前、ふてぶてしいけど、きっとナンバーワンになるよ。少年も笑う。猫はにゃあと鳴いて、するりとその手を逃れる。